北大営研究②-謎の建築物

北大営とは、1931年9月18日に起きた柳条湖事件の現場の近くにある中国軍の兵営である。今回は、研究ノート第二弾として、謎の建築物に対する調査結果を発表する。

北大営/北大营で画像検索すると以下のような航空写真がヒットする。

図1
図2
図3

3方向扇型に突き出た形が非常に印象的な建物である。

一方で、以下のような航空写真もヒットする。

図44
全面落实14年抗战 中国修改教科书界定抗战起点与跨度
図5

こちらはのっぺらとした平面型の航空写真であり、特徴といえば、手前に10数本並んだ細長い建物と、画面中央部に広がる広場のような何もない敷地ぐらいであろうか?

図1~3と図4、5はそれぞれ全く似ても似つかないが、どちらも北大营の航空写真として引用されているのである。

一つ考えられる理由としては、撮影された時期が違うのではないかと思ったが、明確にそれを証明できるだけの素材が存在しなかった。


調べること1か月、ついに手がかりをつかんだ。以下のWebサイトにヒントがあった。

https://www.sohu.com/a/418549674_120160891

以下の図を見てほしい。

図6

下の写真の左下をよく見ると、例の特徴的な三又の建築物が見える。そして注釈を見てみると、以下のようにある。

20世紀20年代北大营西部营房(九一八事变时为第七旅六二一团驻地)

https://www.sohu.com/a/418549674_120160891

つまり、以下の図のようになる。特徴的な建物が欠けてしまっているのが残念であるが、これは間違いないであろう。

この写真は、2020年9月に刊行された、『北大营历史研究』という書籍に含まれている。入手したいと思って調べてみたが一般には販売されていないようだ。図書館にはあるみたいなので、沈阳を訪問する機会があれば見てみたいものである。

もう一つ証拠となるものとして以下の2つの図も追加しておく。

621団の营地が西側(線路沿い)に存在していることが分かる。例の建築物の位置も第1営の下に示されている(残念ながら、注釈キャプションが存在していないので、建物が何のために使われていたかは示されていない)

つまり、世の中で流通してしまっている北大营の航空写真として紹介される建築物は、北大营内の建物の一部にすぎないにもかかわらず、そのあまりに斬新で特徴的なデザインのために、北大营そのものであるかのように誤解されているのである。

こちらのWebサイトで紹介されている模型がその典型例で、例の建物を北大营そのものとして扱ってしまっている。航空写真と対比してもらえばわかるが、線路と建物の位置関係が全くでたらめである。

http://ln.ifeng.com/a/20200916/14477973_0.shtml

北大営研究①-現在の地図と重ねてみる

北大営とは、1931年9月18日に起きた柳条湖事件の現場の近くにある中国軍の兵営である。

謎が多い北大営について手持ちの資料で考察していこうと思う。本文は、その第一回で、北大営がどのあたりに存在していたか、現在の地図と当時の地図を重ね合わせてみる試みである。

当時の地図

これは、1940年(康德七年)のものである。出版社は、「奉天市公署都市计划科」とある。北大営は、右上角にある正方形が少し崩れた四角形の部分である。軍事施設だからなのか、詳細な建物は描かれていない。

現在の地図

重ねた結果①

古地図を半透明にして重ねるのは難しかったが、線路と北陵公园と新开河を合わせて、おおよそこんな感じであろう。北大営の部分だけ分かりやすいように赤枠で囲んでいる。

拡大すると以下の図のようになる

分かりにくいので、古地図は削除して、赤枠のみ残してみた。

衛星写真と重ねてみる。現在は、自動車会社や居住地となっていることが分かる。

参考までに、柳条湖事件の経過図をあげておく。左下の×の箇所が爆破地点であり、ほぼ、九一八歴史博物館の一に当たる。